大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである(徳川家康)

「大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである。恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで憎まれている。だから大将というのは勉強しなければならないし礼儀をわきまえなければならない」徳川家康

上司なんて立場はどうしても部下から見れば嫌われる度合いのほうが大きいですよね。仕事を振ってきて、小言を言ってきて、ときに朝令暮改もあり、部下を評価してくる存在です。

それは上司としての役割を果たしているだけではありますが、下からみると嫌だなと思う点もあります。そのため部下側からしたら表向きは尊敬や親しみの態度で接しているものの、心のなかではあななどり、憎んでいるかもしれません。

そんなマイナスの気持ちですとどうしても、その先入観から上司の落ち度が大げさに見えてきてしまいます。それが同僚や友人ではまぁいいかと思えるようなことでもです。端的に言えば嫌いな人の落ち度はすごく目だって見えてしまいますからね。

そしてその落ち度に「なんだよこの人この程度の人なのに上司やってんのかよ」とか「なんだよこんな奴が偉そうに!こんなやつから離れてやろうか」という事にもなってしまいます。

大将は現代のリーダーで置き換える

たとえ話として私からから見た上司のお話をします。「なんでか若手が辞めちゃうんだよね」と嘆いている上司です。でも部下である自分から見るとそりゃそうですわと感じることが多くあるのです。

具体的には病気で休むとネチネチ言ってくるところです。「腹痛くてもパソコン開けるでしょう。少しくらい仕事進めなよ、進める姿勢を見せてよ。」なんてことをメッセージで送ってきます。とはいえその人自身も病欠は月に1〜2回はあるのです。部下からしたら「なんだそれ」という感じです。

ただ本人は無自覚で他の人にも同じ姿勢を見せることが多々あります。それが嫌で若手はやめていきます。しかし当人はそれに気づかず何も変化がないためほかの社員の心はその人から離れていく悪循環です。さらに上の上司もその人の実際の姿は把握していないため、若手の離職に歯止めがかかりません。

さて、これだと上司の愚痴しか言っていないので部下から見た私を想像して書いてみます。

頼りがいのある人間になっているだろうか、というのはすごくあります。私はすぐ慌てる癖があります。リーダーとしてデンと構えていることが出来ていません。そして部下ではなく自分のことで手一杯になっている状態です。

この人についていきたいなという自分になっているかどうか・・・。

あなどられない、憎まれないリーダーを目指す

日頃の立ち振舞、言葉遣い、知識と経験、細かなところまで見られているのがリーダーです。だからこそ、自分磨きや勉強を欠かさず行う必要があるということをこの格言はいっています。こんな部下が欲しいと思うならばその部下に相応しい上司になっておく必要があるのです。

そのためにはまず自己分析が必要です。そして今まで出会った目上の人でどんな人が尊敬できる人だったかを思い出してみます。今の自分とその人の差はなんだろうか、その差を埋めるにはどうすればいいだろうかと考えると何を勉強し何を補っていけばいいかが見えてくるはずです。

もしかしたら尊敬できるような人がいないかもしれません。そんな場合はその逆で「なんだこいつ」「こんなのにはなりたくない」という人を思い出してみるといいです。こっちの方がいっぱい見つかるかもしれませんな。で、その逆をやればいいじゃないですか。こうならないためにはどうするべきか、ということを考えて実行すればいいのです。

なんだかこれって人生のパートナー探しにも似ていますね。好きな異性のふさわしい人になる努力ってしてましたよね。感覚はそれと同じでやっていけば苦痛にはならないです。

とはいえ媚びたり貢いだりするのは違います。あくまで尊敬される上司をなるためにすることです。

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