及ばざるは過ぎたるより勝れり(徳川家康)

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」徳川家康

足りないものの方が、度が過ぎたものよりも優れている。という意味です。

例えば仕事がとても速く正確にできる人がいます。周囲と比べると成果をとてもあげている人です。しかし仕事を頑張りすぎていて会社の周囲との人間関係が希薄になっていたりコミュニケーションがあまりないことにより協調して仕事を進めにくいという弊害があったりもします。

とても優秀なプログラマーで、言われたものをそのまま実装してくれるものの、仕様の確認があまりできず求めていたモノになっていないとかいう人です。何をどうすれば実現できるか、どんなツールやサービスを組み合わせれば完成させられるかの知識はあるので仕様を理解さえしてもらえればかなりありがたい存在です。でも、仕事を始めてしまうと思い込みというか仕様についてや考えを周囲と共有せずまたは仕様変更を否定してしまうため、うまく仕事が回りません。

そういう人を見るとその仕事の腕を私も欲しいなぁ、じゃなかった、もったいないなぁと思ってしまいます。高すぎる腕で他とのバランスがとれていないのです。そこそこ技術があってそこそこコミュニケーションが出来るようなひとが一番いいんだなぁと思いました。

この人の場合は家康の格言というよりは孔子の格言側ですね。「過ぎたるは及ばざるが如し」という孔子の格言がありますが、それとの違いはなんでしょうか。それは、過ぎているのと及んでいないものではどちらが優れているかの部分です。孔子の格言では「どちらも同じようによくない」としていますが家康は「及んでいない方が優れている」としています。やり過ぎは良くないということを強調した形にしています。

では、家康はなぜ及んでいない方が優れていると言ったのかです。そこには3つの理由があると考えます。

  1. 出る杭は打たれるから
  2. 謙虚になるから
  3. まだのほうがやる気が出るから

なかなか出る杭になれる人っていないと思いますが、せっかく努力して頭一つ抜け出したのに打たれてしまっては悲しいですね。打たれようのないくらいに高く出てしまえばいいと思いますが、そういう人は苦労して努力というよりかは好きで熱中しているタイプなので強いです。

謙虚になれるのは「まだまだだ」ということを自覚しているということです。過ぎている人は大抵ふんぞり返って上から目線ですが、謙虚な人はそうではありません。そのため周囲との人間関係もおかしくはならないです。

そして何よりも頂点に立っているよりも頂点に向かって前進を続けていく方がやる気が出ます。そういったハングリー精神を家康は重要視しているのだと思います。

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