臣下、万民の罰おそるべし(黒田官兵衛)

「神の罰より、主君の罰おそるべし。主君の罰より、臣下、万民の罰おそるべし。」黒田官兵衛(黒田如水)

神の罰よりも、主君の罰が恐ろしい。主君の罰よりも、臣下や万民の罰が恐ろしい。という意味です。

一見、神罰が一番怖いんじゃないのかと思いますがそうではないことをこの格言では言っています。ではなぜ臣下や万民の罰が一番怖いとされているのでしょうか。

日本の神様は基本的におおらかで、作法や都合のいいときだけ神社にきてお願い事をしてもあまり怒りはしません。まぁだからといって何やってもいいというわけではありませんが、もしも神様に「このやろう」と怒られるようなことをしても拝んで祈れば許していただけることかと思います。

次に、主君はどうでしょうか。何やっても怒らない主君なんていませんしそんな人が主君だったらや組織がまわりません。もしも主君を怒らせるようなことがあった場合は、まぁ叱られるでしょうね。処罰を受けるかもしれません。下実際に罰を受けるという部分が神の罰よりも恐ろしいですね。

では最後に、臣下や万民だとするとどうでしょうか。そりゃ上の立場の自分に対し怒れないし罰を与えるなんてことはしません。でも、それが一番怖いですね。怒ったり罰を与えてこない代わりにどうなるかというと・・・離れていきます。自分の下から一人また一人と去っていき最後には誰もいなくなってしまいます。万民であっても心が離れていき、戦国時代ですと別の戦国大名が統治する場所に移っていくかもしれません。

そうして家臣も領民も失ってしまっては何も残りません。神様のように拝んで祈ればどうにかなる問題でもないですし、主君が叱ってくれるわけでもありません。処罰を受けさえすればいいわけでもありません。

現代社会でも当てはまることですね。上司からは叱られ、処分とかも受ければそれで終わりにしてもらえます。ある意味わかりやすい存在なんです。

しかし、部下に嫌われてしまうとやめていってしまいます。人材が枯渇し会社が立ち行かなくなる原因になります。さらに顧客や社会に嫌われて離れられては会社が成り立たなくなってしまいます。人材もなくなり、売り上げもなくなればもう何も残りません。

もしかしたら、若手がやめていってしまい頭を悩ませている原因は「臣下の罰」なのかもしれません。なにか臣下からの罰を受ける理由はないかどうか、あるとしたら何なのかを検討すると解決策が見つかるかもしれません。

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